つらい出来事が重なったとき、「神は乗り越えられる試練しか与えないんだよ」と声をかけられた経験はないでしょうか。この言葉に救われたという人がいる一方で、「全然乗り越えられる気がしない」「乗り越えられない自分が悪いの?」と、かえって追い詰められてしまう人も少なくありません。本来は希望を伝えるはずのフレーズが、ときに重荷やプレッシャーになってしまうのはなぜなのでしょうか。この記事では、この言葉は誰が広めたのか、聖書との関係はどうなのかといった背景に触れながら、「一人で頑張れ」という意味ではない本来のニュアンスを心理学的な観点から解きほぐしていきます。あわせて、自分や大切な人にどのような言葉としてかけ直せば心が少し楽になるのか、具体的な言い換え例も紹介しながら、「試練」との付き合い方をいっしょに考えていきます。
「神は乗り越えられる試練しか与えない」と聞いて、余計につらくなるとき
つらい出来事が続いて心が折れそうなとき、「神は乗り越えられる試練しか与えないんだよ」と声をかけられたことがある人は多いと思います。
この言葉に救われたという人もいれば、「じゃあ今の自分がしんどいのは、自分が弱いから?」「全然乗り越えられる気がしないのに」と、かえって追い詰められてしまう人もいます。
この記事では、恋愛と人間関係の悩みを抱えたときに、この言葉をどう受け止めればよいのかを整理していきます。
誰がこの言葉を広めたのか、聖書との関係、本当の意味を心理学の観点も交えて考えながら、自分や大切な人にどう声をかけていけばいいのかを具体的な言葉の例とともに解説していきます。
この言葉は誰の言葉?聖書との関係と広まり方
「神は乗り越えられる試練しか与えない」というフレーズは、日本語でははっきりと「この人の名言」として残っているわけではありません。
よく「マザー・テレサの言葉」として紹介されることもありますが、厳密には彼女の公式な言葉として確認できる資料は少なく、キリスト教の聖書にある考え方が、自己啓発書やスピリチュアルな文脈で広く言い換えられていったものと考えられます。
聖書の中には、「人は耐えられないような試練に会うことはない」といった趣旨の一節があり、「どんなときも、逃れる道が備えられている」という考え方が語られています。
この考え方が長い歴史の中で、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という、覚えやすく励ましやすい形で広まりました。
整理すると、次のような流れで現代に伝わってきたと考えられます。
| 出どころ | 内容のイメージ | 現代への影響 |
|---|---|---|
| 聖書(特にパウロ書簡) | 人は耐えられない誘惑や試練には会わず、逃れる道も備えられているという希望 | 神は人を見捨てない、という前向きなメッセージとして信仰の中で共有される |
| 近代の牧師・神学者・修道者 | 苦しむ人を励ますときの言葉として、「あなたに与えられた試練には意味がある」と語る | 説教や講話を通じて、「乗り越えられる試練」という表現が繰り返し使われる |
| 自己啓発・スピリチュアル系の本 | 宗教色を薄め、「宇宙」「運命」といった言葉と結びつけて紹介 | 宗教に馴染みのない人にも、「前向きな考え方」として浸透する |
大切なのは、「特定の有名人の名言」というよりも、「古くからある宗教的な希望のメッセージが、現代風に短くまとめられた言葉」だと理解することです。
この言葉をそのまま受け取ると、なぜ苦しくなるのか
一見すると前向きで優しい言葉に見えるこのフレーズですが、そのまま受け取ると、心を追い詰めてしまうこともあります。
例えば、恋愛がうまくいかず、何度も裏切られてしまうとき。
職場でのモラハラに耐え続けて、毎朝起きるのもつらいとき。
家族の介護や子育てで、心身ともに限界を感じているとき。
そんなときに「神は乗り越えられる試練しか与えない」と言われると、「じゃあ、乗り越えられないと感じている私はダメな人間なの?」と、自分を責める方向に働いてしまうことがあります。
心理学的には、これを「自己責任の過剰化」と言います。
本来、「試練には意味がある」「あなたには乗り越える力がある」というのは、希望を伝えるメッセージのはずです。
しかし、「どんなことでも自力で乗り越えなければならない」というプレッシャーに変わると、それは励ましではなく「重荷」になってしまいます。
本当の意味①「一人で乗り越えろ」という意味ではない
この言葉を、自分を追い込まない形で受け止めるためには、「一人で頑張り切れ」という意味ではないと知ることが大切です。
心理学では、人が困難を乗り越える力のことを「レジリエンス」と呼びます。
レジリエンスは、生まれつきの性格だけでなく、周りの人とのつながり、相談できる相手の存在、専門家へのアクセスなど、多くの要素で支えられています。
もし「神」がいるとしたら、その神は「あなたに人を通して助けを送る存在」とも考えられます。
信仰があるかどうかに関わらず、「助けを求める勇気そのものが、試練を乗り越える力の一部だ」と捉え直すことができます。
例えば、次のような言い換えは、自分を追い詰めにくい形です。
| 言葉の受け止め方 | 心理学的な意味 |
|---|---|
| 「神は乗り越えられる試練しか与えない」 | 自分には、今はまだ見えていない助けや資源も含めれば、乗り越える可能性がある |
| 「乗り越えられる=一人で抱え込むこと」ではない | 他者に頼ることも、休むことも、「乗り越え方」の一部だという再定義 |
| 「全部自力でできない私はダメ」ではない | 自分だけで何とかしようとしないのは、むしろ健全なストレス対処行動 |
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を、「神は一人で抱え込めと言っているわけではない」と解釈し直すことで、少し心が軽くなる人もいます。
本当の意味②「試練=耐え続けろ」ではなく「選び直すチャンス」のこともある
もう一つ誤解されやすいのは、「試練」という言葉です。
ブラックな職場、人を傷つける恋人、暴力的な家族関係など、本来は離れた方が心身の安全を守れるケースまで、「これも神様が与えた試練だから耐えなきゃ」と考えてしまう危険があります。
心理学的には、これは「学習性無力感」につながりやすい状態です。
どれだけ頑張っても状況が変わらないと、「どうせ何をしても無駄だ」と感じ、自己評価も下がってしまいます。
ここでのポイントは、「試練=全部我慢すること」ではない、という再解釈です。
むしろ、「この状況は、自分の生き方や選択を見直すサインかもしれない」と考え直してみることで、別の道を選ぶ勇気が出てくることもあります。
例えば、次のような視点の変化です。
| 状況の捉え方 | 心理的な結果 |
|---|---|
| 「つらい職場も、神が与えた試練だから耐えるしかない」 | 自分の気持ちを押し殺し、心身をすり減らしてしまう |
| 「この職場で得た経験にも意味はあるけれど、ここを離れる選択肢もある」 | 自分の人生に対する主体感が戻り、別の環境を探すエネルギーが湧きやすくなる |
試練を「我慢大会」ではなく、「自分の人生をどう選び直すかを考えるきっかけ」としてとらえ直すことができると、この言葉は少し違う顔を見せてきます。
心理学から見た「乗り越えられる」の正体
「乗り越える」という言葉は、とても大きく聞こえますが、心理学的に分解すると、いくつかのプロセスに分けて理解することができます。
第一に、「気持ちを言語化すること」です。
自分が何に傷つき、何に怒り、何に悲しんでいるのかを言葉にしていくことで、感情は少しずつ整理されていきます。
第二に、「状況のコントロール感を取り戻すこと」です。
全部を一気に変えようとするのではなく、「今日できる小さな一歩」に意識を向けることで、「自分にもできることがある」という感覚が戻ってきます。
第三に、「意味づけの変化」です。
「なぜこんな目に遭わなければならないのか」という問いから、「この経験から何を学べるだろう」「誰かを理解する材料になるだろうか」という問いに少しずつ変わっていくことも、乗り越えの一部です。
これらはすべて、「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉の、“心理学的な中身”だと考えることができます。
自分にかけたい具体的な言葉と、その心理的な効果
つらいとき、いきなり「これは乗り越えられる試練だ」と自分に言い聞かせるのは、むしろ苦しい場合があります。
そんなときは、もう少し現実的で、優しい言葉の方が心に入りやすいことが多いです。
わかりやすくするために、自分にかける言葉と、その心理的な効果を整理します。
| 自分にかける具体的な言葉の例 | 心理学的な意味・効果 |
|---|---|
| 「今の自分には重すぎる。でも、全部じゃなくて、今日一日ぶんだけ考えてみよう」 | 問題を「小さく分ける」ことで、圧倒される感覚を和らげる。行動へのハードルが下がる。 |
| 「一人では無理だから、人の力を借りてもいい。それでも『乗り越えた』ことにしていい」 | 他者支援を受けることへの罪悪感を下げ、サポートを求める行動を取りやすくする。 |
| 「この経験を、今すぐ意味あるものと思えなくていい。ただ、未来の自分が何かに使えるといいな」 | “ポジティブ再解釈”を急がず、今はただ生き延びることを肯定するセルフ・コンパッション。 |
これらの言葉は、「乗り越えろ」と命令するのではなく、「今の自分の限界を認めながら、できる範囲で前に進むこと」を許可するメッセージです。
心理学的には、「自己批判」から「自己への思いやり」へと視点を移す効果があり、うつ状態や不安の悪化を防ぐ助けになります。
苦しんでいる相手にかける言葉の工夫
この言葉は、自分に向けて唱えると励みになる場合もありますが、他人に対して安易に使うと、相手を追い詰めてしまうことがあります。
そこで、「神は乗り越えられる試練しか与えない」というメッセージを含みつつ、もう少し相手に寄り添った言い方に言い換えることを考えてみます。
| よくある声かけ | 少し言い換えた表現 | 伝わり方の違い |
|---|---|---|
| 「神は乗り越えられる試練しか与えないよ」 | 「今の状況、本当にしんどいよね。それでも、あなたなら、一人じゃなく誰かと一緒に少しずつ抜け出せる力があると思う」 | 試練を美化するのではなく、今のつらさを認めたうえで、相手の可能性を信じるメッセージになる。 |
| 「これもきっと意味があるんだよ」 | 「今は、意味なんて考えられないくらいつらいよね。意味を探すのは、もう少し落ち着いてからでいいと思う」 | 無理にポジティブな意味づけを押し付けず、相手のペースを尊重していると伝わる。 |
| 「乗り越えられない試練は来ないから大丈夫」 | 「今は『乗り越える』なんて言葉を聞きたくないかもしれないけれど、少なくとも一緒に考えることはできるよ」 | 「乗り越えろ」という圧ではなく、「そばにいる」という支え方に変わる。 |
相手がどんな状態にいるのかによって、響く言葉は変わります。
大事なのは、「相手の今の苦しさをちゃんと認めたうえで、希望を伝える」ことです。
「どうしても乗り越えられない」と感じるときに
どれだけ考え方を工夫しても、「もう無理だ」「これ以上は限界だ」と感じることもあります。
そのときに、「乗り越えられない自分は、神にとって失格なのではないか」「信仰心が足りないのではないか」と責めてしまうと、心はさらに疲弊してしまいます。
心理学的には、「自分だけではどうにもならない」と感じたときこそ、専門家の力を借りるタイミングです。
心療内科や精神科、カウンセリング、信頼できる相談窓口などにアクセスすることは、「逃げ」ではなく、「生き延びるための合理的な選択」です。
もし「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉を信じたいなら、「専門家や周囲の人を通して、神は助ける手を差し伸べているのかもしれない」と考えてみることもできます。
宗教的な前提を抜きにしても、「人を頼る」ことそのものが、あなたのレジリエンスの一部です。
「乗り越えられる試練」の本当の意味は、自分を責めない前提づくり
「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は、本来、「あなたには価値があり、見えない形も含めて助けが用意されている」という希望のメッセージです。
しかし、「一人で完璧に乗り越えなければならない」というプレッシャーとして受け取ると、あなたを苦しめる刃にもなってしまいます。
一人で抱え込まず、人の力を借り、状況を選び直すことも「乗り越え方」の一つだと考える。
今は意味が見えなくても、「意味づけを急がなくていい」と自分に許可を出す。
自分や相手にかける言葉を、少しだけ優しく、現実的な形に言い換えてみる。
そうした小さな工夫の積み重ねが、結果的に「試練を乗り越えた」と振り返られる未来につながっていきます。
